この「あたらしい憲法のはなし」は、日本国憲法が公布されて十カ月後の一九四七年(昭和二二年)八月、文部省によって発行され、全国の中学生が一年生の教科書として学んだものです。
 一九四六年十一月三日に発布され、四七年五月三日に施行された日本国憲法は、長かった戦争のもとで、生命と財産、青春と自由のはかりしれない犠牲のうえに、ファシズムをうちたおし、平和・民主・自由を希求する国内外の世論にささえられてようやくかちとられました。同時に、当時日本を占領していたアメリカは、憲法の内容をみずからの対日政策のワク内におしこめようと画策しました。そのために日本国憲法は、国民主権、恒久平和、基本的人権、議会制民主主義、地方自治の諸原則にもとづく平和的民主的条項がもりこまれた積極的内容をもつものとなる一方、象徴天皇制など、平和的民主的条項と相反する内容をも合わせもつものとなりました。
 当時の文部省が教科書として発行したこの「あたらしい憲法のはなし」も当然、憲法自身のもつ限界を反映し、国民主権と矛盾する象徴天皇制をそのまま肯定的に叙述するなど、批判的に検討すべき側面を持っています。しかし、全体としては、当時の平和と民主主義を求める国内外の世論の高揚を反映して、憲法の平和的民主的条項の精神をいきいきとわかりやすく解説するものとなっているのが特徴です。
 それは、当時の中学生だけでなく、「教え子をわが子をふたたび戦場に送るな」と誓いあい、新しい平和と民主主義教育への情熱に燃えていた教師、父母に明るい希望をよびおこしました。
 しかし、この教科書はニ、三年使われただけでした。日本が一九五〇年(昭和二五年)にはじまった朝鮮戦争の基地にされ、日米安保条約が結ばれ、警察予備隊が自衛隊にかわってゆくという時代の流れのなかで、教室から姿を消していってしまったのです。
 憲法施行後四十数年をむかえたいま、日本の軍事費は世界第三位といわれるまでに膨張し、憲法違反の自衛隊と米軍との日本の核戦場化をも想定した日米合同演習が激化しています。主権在民の原則と歴史の進歩に反する天皇の美化と元首化のためのキャンペーンも大々的に展開されています。加えて国民の目、耳、口をふさぐファッショ法の国家機密法や、軍事優先の国内体制づくりをめざす策動など、民主主義と国民の権利への攻撃も強まっています。
 憲法改悪に反対し、憲法の平和的民主的条項をまもり、その完全実施を求める運動はいよいよ重要です。
 わたしたちは、この「あたらしい憲法のはなし」の普及の波が、憲法の平和的民主的条項をよりどころにいのちとくらしを守っていく国民各層の努力と結びついて、この教科書の限界をこえた「平和のための親と子と教師の対話による教科書」が創造されることを願っています。
日本平和委員会
(「あたらしい憲法のはなし」あとがきより)
 



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