第12回◆ 

日本国憲法のあゆみ(3) 有事立法を遅らせた197080年代

 一九六〇年に安保条約は、日米の軍事協力をいっそう緊密にするものに改定されました。しかし、それは、「憲法を守れ」という強い国民世論の影響を受けて、軍事同盟としてはいびつなものとなりました。憲法「改正」問題も同様です。一九六〇年代以降、明文の改憲の動きは影をひそめ、憲法解釈の変更によって、憲法の趣旨をねじ曲げる路線、「解釈改憲」路線が主流となります。こうした路線を政府がとらざるを得なかった背景にも、国民の平和憲法擁護の声が潜んでいるのです。

1.自衛隊極秘に有事立法研究


 憲法で軍隊の保持が正式に認められている国では、軍を動かす際のルール、有事立法を定めておくことが普通です。ところが、自衛隊は、憲法九条の解釈を強引にねじ曲げて作られた部隊です。その活動のための有事立法を定める余裕など、創設時にはありませんでした。そこで、「解釈改憲」路線の進展とともに、有事立法の制定は執念深く追求されていくことになりますが、その動きは、国民が警戒するなかで、ゆっくりとしたものでした。
 まず、最初に注目される動きは、一九六三年に自衛隊のなかで極秘裏に行われた「三矢研究」です。そこでは、朝鮮有事をきっかけに情勢が緊迫するなか、臨時国会が招集され二週間で八十七本の法律が一挙に制定されるという「シナリオ」まで描かれていました。こんな内容の極秘資料が、一九六五年の国会で社会党議員によって暴露されました。佐藤栄作首相(当時)は、「かような事態が政府が知らないうちに進行しているとは、ゆゆしきこと」と答弁せざるをえず、関係者も処分されました。

2.24年かかった有事立法制定


 次の目立った動きは、一九七八年になります。自衛隊の栗栖弘臣統幕議長が、「法律がなければ、自衛隊は有事に超法規的措置をとるしかない」という物騒な発言をして、金丸信防衛庁長官(当時)に解任されます。しかし、この時以降、有事立法の研究は、政府の責任で進められていくことになります。
 こうした動きを通じて虎視たんたん狙われてきた有事立法は、結局、二〇〇三年と四年の国会になってかなりの部分が整備されていくことになります。それでも、有事の際の秘密を保護するための法律(国家秘密法)や軍事裁判所の制度はまだありません。この辺にも、憲法九条の生命力は維持されているのです。

3.国会審議の質を取り戻そう

 こうした状況を生み出す上で、「憲法を守れ」という国民世論としっかりとスクラムを組んだ議会勢力がいることが、とても大切です。一九六〇年代から八〇年代にかけて、憲法九条をめぐる国会審議は、今とは比べものにならないくらいに真剣かつ高度な内容のものでした。小泉首相のように、それまでの政府見解を無視して「自衛隊は、常識的に考えれば戦力」などと言おうものなら、野党から総すかんの追及にあったものです。
 そうした審議の質をいかに取り戻すか、どうやってまっとうな憲法論議を国会議員にさせるか。今回の総選挙をふまえて国民が背負った課題は、とても重いと言わざるをえませんが、歴史からしっかりと学び、あきらめずに頑張りましょう。

(小沢隆一、2005925日「平和新聞」1779号掲載)


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