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◆第10回◆
日本国憲法のあゆみ (1)自衛隊創設の頃
今回から三回は、日本国憲法のあゆみを九条を中心に振り返ってみることにしましょう。本紙の読者のなかで、平和運動のあゆみに詳しい「生き字引」のような人は、それと重ね合わせて読んで下さい。そうでない人は、ぜひ「生き字引」の人に、「あの頃はどうだったの?」と聞いてみてはどうでしょうか。
1.占領の終結と 自衛隊の創設
憲法九条の体制は、一切の軍備を持たないことでスタートしました。しかし、この体制は、朝鮮戦争の勃発にともなうマッカーサーの指令による警察予備隊の創設(1950年)、占領の終結と同時にアメリカと結んだ安保条約(1952年発効)、自衛隊の創設(1954年)によって、次々と変えられていくことになります。
自衛隊の創設の頃には、政府は、「憲法九条は、自衛権を持つことを認めている。自衛のための実力部隊を設けることは、憲法に違反しない」という新しい九条解釈を持ち出してきます。
2.賑やかに展開 憲法「改正」
このように苦しまぎれの憲法解釈で、自衛隊の創設が容易に正当化できるわけがありません。政府・与党は、憲法の明文改憲に乗りだしてきます。1950年代の半ばは、改憲論がにぎやかに展開された時期でした。改憲派の人々は、よく「改憲をタブーにしてはならない」と言いますが、議論としてならタブーであったためしはありません。
この頃の改憲論は、自主防衛、天皇の元首化、家族の保護、国家に対する国民の忠誠義務、参議院への間接選挙制の導入など、九条をかえるだけでなく戦後改革の成果である民主主義、人権尊重を否定しようとする復古的な内容のものでした。
当時は、警察の中央集権化、教育委員の公選制の廃止、靖国神社国営化の動きなどが進められた時期でした。
3.改憲阻止した 国民世論の力
こうして押し寄せる改憲の荒波を阻んだのは、当時の国民による平和と民主主義を守る運動です。平和委員会の前進である「日本平和を守る会」も時期を前後してこのころに結成されています(1949年)。当時の国民の運動を大きく押し上げたのは、1954年の第五福竜丸事件をきっかけにした原水爆禁止運動の盛り上がりでした。こうした運動が取り組まれたことによって、創設された自衛隊もあくまでも「国防」を目的とするものであり、「海外出動はしない」(1954年6月2日参議院決議)とされ、「集団的自衛権は違憲」という政府答弁もなされたのでした(同年6月3日)。
そして、1955年の衆議院選挙、56年の参議院選挙で、憲法「改正」に反対する社会党・共産党などの革新派議員が3分の1を確保し、当時、鳩山内閣が改憲のために画策していた衆議院に小選挙区制を導入する法案も審議未了、廃案になるなど、明文改憲への動きは阻止されたのです。
国会の多数を改憲派が握っていても、国民の世論の盛り上がりさえあれば改憲を阻止することができる。1950年代の取り組みは、こうした教訓を私たちにゆたかに伝えてくれるものです。
(小沢隆一、2005年8月25日「平和新聞」1776号掲載)
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