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◆第8回◆
日本国憲法制定の意義(その2) 日本にとっての憲法9条
アジア太平洋地域で2千万人、日本では3百万人を超える民衆を犠牲にした20世紀最大の戦争としての第二次大戦は、日本の敗戦で幕を閉じました。
この戦いの中から新しい平和の秩序として国際連合が生まれ、侵略戦争を引き起こした日本では、憲法に不戦の誓いとして九条が盛り込まれました。九条は、まずもって日本が再び他国の脅威とならないための証しとして生まれたのです。このことの意義を忘れてはなりません。
1.日本の敗戦の意味 平和うたう憲法を
「九条は、『押しつけ』られたものだ」、「東京裁判は『勝者の裁き』だ」などといって日本国憲法や戦後の国際秩序をおとしめる議論はいまでも後を断ちません。しかし、これらの議論は、日本の敗戦の基本的な意味をとらえそこねるものです。
日本の敗戦は、ポツダム宣言の受諾によってもたらされました。この宣言には、「軍国主義勢力の永久除去」、「民主主義的傾向の復活・強化」、「日本国国民の自由に表明する意思に従い平和的傾向を有する政府の樹立」などが盛り込まれていました。
これらを受け入れて敗戦を迎えた以上、日本は、日本国憲法と同じくらいに平和・人権・民主主義をうたう憲法をもつ必要があったのです。明治憲法体制の維持は不可能なことでした。「押しつけ憲法論」は、このことをまったく無視しています。
2.国民の熱烈な歓迎 政府も九条を訴え
たしかに、憲法九条のもととなる原案は、GHQ(占領軍総司令部)が作ったものでした。しかし、それは、戦後いちはやく選挙制度が改正されて20才以上の男女による普通選挙によって議員が選ばれた衆議院によっても審議され、日本国民の民意を通して生まれたのです。また、当時の国民は、この条項を熱烈に歓迎しました。これらの事実も、「押しつけ憲法論」は無視しています。
当時は、政府の首脳もまた、九条の意義を熱く語っています。
吉田茂首相は、「戦争放棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定してはおりませぬが(これがのちに「自衛権」論争の火種となります)、…一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も放棄したものであります」(1946年6月26日)と答弁し、「一切の軍備を持たない」ことが九条二項の趣旨だと明確に述べています。
また、幣原喜重郎国務大臣は、「第九条は戦争の放棄を宣言し、我が国が全世界中最も徹底的な平和運動の先頭に立って指導的を地位を占める」とか、「兵隊のない、武力のない、交戦権のないというのは、それが一番日本の権利、自由を守るのに良い方法である」などと述べています(1946年8月27日、9月13日)。
3.現実味を持っていた 「正しいことを先に」
以上のような言葉を、首相や大臣が述べていたことは、今とは隔世の感があります。日本平和委員会は、「あたらしい憲法のはなし」の普及をずっと地道にすすめてこられましたが、その中の次の一節は、読者のみなさんもよく知っているでしょう。この言葉が、政治の世界でも現実味を持っていたのが、日本国憲法制定当時の状況だったのです。
「これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないです。…しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国より先に行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いことはありません」。
(小沢隆一、2005年7月25日「平和新聞」1773号掲載)
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