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◆第7回◆
日本国憲法制定の意義 (その1)第二次大戦の意味
ヨーロッパ全域を巻き込み、アメリカの小説家ヘミングウェイに『武器よさらば』を書かせた第一次大戦。この戦争の惨禍にもかかわらず、第二次大戦が起こされてしまいます。この二つの大戦を教訓にして、「われらの一生のうちに二度までも言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救」うとして国際連合が結成され、それときびすを接して日本国憲法が制定されました。
かくして生まれた日本国憲法の平和主義の意義を理解する上で、第二次大戦と国際連合結成の意味を正しく捉えることが重要です。
1.戦争違法化の開始侵略戦争を放棄
第一次大戦をふまえて、国際社会は、「無差別戦争観」(前回参照)を克服して、再び戦争を違法なものとする考え方をとるようになります。「国際紛争を解決するため」の戦争、「国家の政策の手段として」の戦争を放棄することを宣言した「パリ不戦条約」(1928年)が、それです。
ただし、ここで放棄された戦争は、侵略戦争のことであり、自衛戦争は含みませんでした。また、第一次大戦後結成された国際連盟は、加盟国が規約に違反して戦争に訴えたかどうかの判断を各加盟国にゆだね、違反国に対する強制措置も、経済封鎖など非軍事的措置を中心にしており、パリ不戦条約も違反国に対する強制措置を定めていませんでした。
このように、第二次大戦前の戦争違法化の考え方と国際平和実現の方策は、なお不十分なものにとどまり、結局、日本の満州事変(1931年)や国際連盟脱退(1933年)をくい止めることができませんでした。
2.第二次大戦の意義反ファシズム勝利
第二次大戦は、日本、ドイツ、イタリアなど、「ファシズム体制」という点で共通点を有する国々が起こした侵略戦争であることは否定しようがありません。靖国神社のパンフレットがいうような「やむを得ない戦争」などという言い訳は、とうてい通用しません。
これらの国々のファシズム体制の背景、要因、基盤などは必ずしも一様ではありませんが、第一次大戦後の国際秩序(ベルサイユ条約体制)への不満、1929年の世界大恐慌以後の経済混乱、ロシア革命後の社会主義勢力の台頭などの危機への対応として、外に向かっては侵略、国内的には軍国主義と人権・民主主義の抑圧を特徴とする体制を築いた点は共通しています。
こうしたファシズム体制に対して植民地解放運動や社会主義勢力も含む広範な「反ファシズム連合」が成立し、これが勝利したことが、第二次大戦の最大の特徴といえるでしょう。
3.国際連盟の成立と武力行使の違法化
国際連合は、1945年、「国際の平和及び安全を維持すること、そのために、…有効な集団的措置をとること」を第一の目的にかかげて結成されました。ここには、平和を実現する上で弱体であった国際連盟体制への反省が込められています。
国連憲章は、パリ不戦条約の「戦争」という言葉に代えて、「武力による威嚇または武力の行使」という言葉を使っています(二条の4)。これは、日本が起こした満州事変のように、「戦意」を示さないで始められた「事実上の戦争」も違法なものとして禁止するという趣旨です。
また、憲章に違反する武力行使に対しては、武力も含む集団的措置で対処するという集団安全保障のシステムを採用しました(七章)。「平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為」は、安全保障理事会がこれを認定し、対処措置を決定し、加盟国はこれに従わなければならないというシステムです。
(小沢隆一、2005年7月5日「平和新聞」1771号掲載)
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