◆第6回◆

憲法と平和主義の歴史 (その3)帝国主義と平和主義

 近代憲法を生んだ市民革命の時代は、侵略戦争の放棄をうたう平和主義も生み出しました。ところが、その後の十九世紀には、平和主義は後退し、ヨーロッパ列強は、戦争と侵略に明け暮れ、植民地の獲得と拡大に血道をあげるようになります。帝国主義の時代の到来です。平和主義の歴史にとってこの時代がもつ意味について考えてみましょう。

1.植民地支配正当化する無差別戦争観

 ヨーロッパの近世から近代にかけて、戦争には正当なものと不正なものがあるという「正戦論」が全盛でした。ところが、十九世紀になって、ヨーロッパの各地で主権を有する国民国家が成立するようになると、お互いどうしでおこなう戦争をひとしく正当なものとみなす考え方が主流になってきます。この考えを「無差別戦争観」といいます。
 この考え方は、戦争をおこなうことの合法・違法は、国際法の関知するところではなく、戦争に関する国際法は、戦争のやり方、その手続きや方法のみを規律する「交戦法規」にとどめるというものです。
 これは、当時のヨーロッパ諸国にとっては、都合のよい考え方でした。ひんぱんに行われるお互いの領土紛争には制限を加えず、その一方で、植民地への進出とその支配も、その地域は「文明国」ではなく主権国家も成立していないということで、堂々と正当化されたのでした。


2.集団的自衛権は帝国主義に由来

  相応の手続きを踏んで行われた戦争はひとしく合法であるとするこうした考えのもとで、各国はどうやって平和を確保しようとしたのでしょうか。勢力均衡(バランス・オブ・パワー)による平和がそれです。
「無差別戦争観」は、いわば弱肉強食、ジャングルの法則を認めるようなものですから、そのなかで安全を確保しようとすれば、自国を強くするか、強い国と手を結ぶしかありません。こうして各国は、軍備を増強し、「同盟による平和」を欲していくことになります。今日の言葉では「集団的自衛(権)」と言われるものは、これと同じ考えに基づくものです。ようするに「集団的自衛権」は、帝国主義の時代に由来する古い平和観なのです。
しかし、「同盟による平和」は、一つの国や一つの同盟が他よりも圧倒的に強ければ成立しません。結局、国家と国家、同盟と同盟が「両すくみ」になることでのみ平和が保たれることになります。いわゆる「冷戦」の時代に、アメリカとソ連がたくさんの核兵器をため込みながら打てなかった状況を思い出して下さい。それと同じです。

3.大戦で破綻した帝国主義の平和観

  以上のような戦争観・平和観を生みだした十九世紀は、戦争に明け暮れた世紀でしたが、それでも世界を揺るがすような破局的な結果を生むことはありませんでした。とはいえ、どの時代にあっても戦争は悲惨なものです。国際赤十字の創始者、アンリ・デュナンが、一八五九年の「ソルフェリーノの戦い」で、死屍累々の戦場の様子を見て「みな、兄弟ではないか」と叫んだといわれるのは有名です。
 その後こうした十九世紀、帝国主義の時代の戦争観・平和観が最終的に破綻する時期がやってきます。第一次大戦の勃発です。一九一七年、サラエボ市内で起こったセルビアの青年によるオーストリア皇太子夫妻の暗殺事件をきっかけにして、ヨーロッパ全域を巻き込み、そして後にはアメリカや日本なども参戦する世界戦争へと展開していきます。
 かくして、国際社会は、再び戦争観・平和観の見直しをせまられるのです。
(小沢隆一、2005年6月25日「平和新聞」1770号掲載)


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