◆第4回◆ 

憲法と平和主義の歴史
(その1)そもそも憲法とは?

 今回から三回は、憲法と平和主義の歴史について考えてみましょう。人類は、どのようにして憲法と平和主義をかちとってきたのでしょうか? そこには、いかなる理念がこめられているのでしようか?

1.聖徳太子の昔から? 遠山の金さんは?

 みなさんは、「日本最初の憲法は?」と聞かれてどう答えますか。「聖徳太子の十七か条の憲法」という答えは、歴史クイズとしてはありえますが、これを、いまの憲法と同じ性質のものと見ることはできません。したがって、厳密な意味では、答えはNOです。
 というのも、「十七か条の憲法」には、「和をもって貴し」とか、「悪しき懲らし善きを勧める」といった道徳、今で言えば公務員の「倫理綱領」のようなものが掲げられています。この程度のことは、今では憲法で規定すべきことではありません。
「勧善懲悪」モノの時代劇の主人公「遠山の金さん」は、あたかも警察官と検察官と裁判官を兼務しています。これは権力の分立を定めた近代憲法が、そもそも否定しているものです。

2.近代憲法の本質は国家権力への縛り
 それでは、近代的な意味での憲法のエッセンスとは、どのようなものでしょうか。一七八九年のフランス人権宣言は、次のように語っています。
 「権利の保障が確保されず、権力の分立が規定されないすべての社会は、憲法をもつものではない」
 憲法をもっていると言える国とは、人権の保障、そのための権力の分立が憲法の中に盛り込まれている必要があるのです。人権侵害は、国家権力によるものこそが最大・最悪のものになりうる。そうである以上、憲法はまずもって、国家権力が勝手に行使されないように規律することが任務とされたのです。近代憲法は、そうした考え方にもとづいて作られてきました。このことは、次のような日本国憲法の九九条からもうかがえます。
「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」
 憲法は、ここで書かれている人々が国民の権利を侵害しないように、「国民から国家に向けて」、すなわち国家権力をしばるものとして定められたものなのです。

3.憲法を守る義務は国民にあるのか?
 それでは、国民には、この憲法を守る義務はないのでしょうか。その答えは、YESであると同時にNOです。国民は、先に述べた公務員と同じ意味での「憲法尊重擁護義務」を負うものではありません。この「義務」は、あくまでも「国民に対して公務員が」負うものです。それでは、国民は憲法を守ることとまったく無関係かといえば、そうではありません。日本国憲法は、一二条で次のように定めています。
 「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」
 国民は、憲法が保障する「自由及び権利」を、その「不断の努力」によって守らなければなりません。それでは、それはどうやって守られるのか。それは、国民がこれらの「自由及び権利」を使うことによってです。国民がその権利を使って権力を批判・監視することによって、九九条が定める公務員の「憲法尊重擁護義務」も果たされる状態が生まれるのです。国民が黙っていたら、権力は何をするかわかったものではありません。
 どうでしょう。日本国憲法は、近代立憲主義にしっかりと立脚したよくできた憲法ではありませんか?

(小沢隆一、2005年5月25日「平和新聞」1768号掲載)


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